令和の募金活動~若い資源を大切に~

令和の募金活動~若い資源を大切に~

寒空の下に立っている高校生を見て

「コロナで苦しんでいる人に、どうか募金をお願いします!」

先日制服を着た高校生たちが10人程、寒空の下で募金活動をしている姿を目にしました。寒い中大声をあげ、先生らしき人はその姿を写真におさめている。きっとその写真を学校のチラシか何かに使うのでしょう。本当にここは令和なのだろうか…。そんな気持ちさえ抱きかけていました。

私は昔から(母曰く小学生のころから)ただただ学生が情に訴え、お金を集める「募金活動」に対して疑問を抱いておりました。そもそもこれだけ技術が進歩し、文明が発達している現代において、お金を集める方法があまりにも原始的過ぎやしませんか。募金活動はまだしも、それを学生にやらせるなんて私には信じられません。ずっと思ってはいましたが、何も行動に移せていなかったので、今日は記事にし、一人でも多くの人に届けたいと思います。

募金活動の良いと思う所

批判するのかと思いきや、さっそく良い面です(笑)そう。誤解して欲しくないのが、募金活動をすること自体悪いことだと思っているわけではない、ということです。苦しんでいる人々の為、自分の力を貸してあげる。それは素晴らしいことだと思います。また、路上に立ち、か弱い若者が大声をはることで

「こんな寒い中頑張っていてえらいな。微力だけど力を貸してみよう」

そう思う人は(日本人なら尚更)かなりいらっしゃると思います。そういう私もその一人です。頑張っている高校生を見かけると、彼らに罪は無いと思い、ついお金を入れてしまいます。なので、情に訴え、お金を集めるのは1手段として間違っていないと思います。

許せない理由①得るものが少なすぎる

募金活動を通じて、お金が集まり、困っている人を助けられる。うん、まだここまでは理解できます(お金で本当に助かるのか…?という疑問はさておき)ですが、いざ労力を費やした高校生は何を学ぶのでしょうか?私なりに考えてみました。

  • お金を稼ぐ大変さ
  • 人を助ける尊さ
  • 活動中の人との出会い

……。だめです。あまりに思いつきませんでした(笑)私が辛うじて思いついた3つですが、お金を稼ぐ大変さなんて、大学生になればいやでも多くの人が知ることになります。人を助ける尊さなんてものは、本を読んだり、テレビを見ていたら自然に身につくものだと思っています。というか募金活動に参加するような子には既に備わっています。あとは、出会い。出会い?路上にたってて出会う人と、今後一生関わる可能性ってものすごく低いと思うんです。その出会いの為だけにやるのは、私としては納得がいきません。

許せない理由②若者を安く見積過ぎ

先日募金活動をしている子たちに聞いてみたんです。一年でいくらくらい集まるんですか?すると、1年各地でやっているのを合わせて180万円。ほお。じゃあ仮に主要な場所5か所くらいでやっていたとしましょう。1か所36万円。そこに学生が10人いたとすると、一人3.6万円。毎月行っているとしたら、3000円/日。8時間立っていたとしたら、、、時給375円

若い子がこんなに頑張って、時給375円ですよ。タマゲタ。そこら辺にいる大学生に時給375円で働いてくれないか、なんて言ったら蹴飛ばされますよ。もちろん、この計算は私の推測でしかなく、もっと良いのかもしれませんが、私にはどうしてもコスパが悪いように思えて仕方ありません。

若者の力ってとても偉大なものだと思うんです。力もあり、柔軟性もあり、可能性も有る。今後の世界を担ってくれるのは、今の若者なんです。そんな貴重で偉大な力をこんなところで使って良いんでしょうか…。私は非常に疑問です。

まとめとして

NPOの記事で募金活動を行う一つの理由として「社会問題として、世の中の人に知ってもらうこと」と書いてありました。確かに活動を目にすると、気にはなります。ただ、コロナだとかアフリカが困っているだとか、もう上っ面のことは、だいたいみんな知っていると思うんですよね。募金活動はあくまでも問題があることを知らせるのみ、つまり上っ面な部分しか伝えられないと思います。そんなことなら電車の広告なり、ポスターなり貼っておいた方がよっぽど目につきます。

私は募金活動全般に反対しているのではなく、若者が目的も考えずに言われるがまま良さそうな活動をし、それがいつまでも続いている。誰もおかしいとは教えてあげられない。その現状が見るに耐えないと思っています。私が思う解決法を次回の記事にしたいと思います。

コメントを残す

CAPTCHA